別説の三皇

 このあと、帝王になったのが、三皇の一人目、伏羲(ふくぎ:庖羲ほうぎ,ともいう。燧人氏が一人目という説もある。)です。 木徳(『史記』に庖羲は風の性,木徳の王とあります)です。
伏羲は、人頭蛇身。人々に煮炊きすること、占い、文字をもたらしました。
 
占いは八卦(はっか)といい,陽爻(ようこう)「−」と陰爻(いんこう)「 --」を組み合わせた8つです。
乾(けん)
陽性で強く剛健なさまを示す。十二支の方位では西北で戌亥。

天,父,首,健の意。

坤(こん)
陰性で柔弱なことを示す。十二支の方位では南西で未申。

地,母,腹,順の意。

震(しん)
表面が柔らかく下に強い力を含んで動くさま。万物動き始める。十二支の方位では東で卯。

雷,長男,足,動の意。

巽(そん)
表面は強いのに中が柔順。風に当てる。柔順なさま。十二支の方位では南東で辰巳。

風(木),長女,股,入の意。

坎(かん)
十二支の方位では北で子。

雨(水),中男,耳,窪の意。

離(り)
柔順の徳を守ればすべて調和する意味を含む。十二支の方位では南で午。

火(日),中女,目,麗の意。

艮(ごん)
陽が上をさえぎり陰が下にたまって動きのとれない、止って動かないの意味を含む。十二支の方位では東北で丑寅。

山,少男,手,止の意。

兌(だ)
抜け出る,抜きとる。心身を正しく保てば成功することを暗示する。十二支の方位では西で酉。

沢,少女,口,説(喜)の意。

   
 この帝王は、人を作った(ニョカ)と結婚しました。(ニョカ)も人頭蛇身。このとき、婚礼というものを定たそうです。

三皇二人目は神農(しんのう)でした。 火徳です。 炎帝ともいいます。
姜水(きょうすい:陝西省岐山から東流し,姜氏城から南下した陝西省岐山県を流れる河)のほとりで産まれた。姓は姜です。
 王位在籍は120年間で,最初は陳,次に山東省曲阜,最後は湖南省長沙で葬られてもいるそうです。馬王堆漢墓が出土したところも湖南省長沙です。
人身牛首,鋤や鍬などを作った農業の神でした。また、市を置き物々交換を考えて商業をもたらしたり,五弦の瑟で音楽を作って奏でて人々に聞かせました。最も有名なのは薬草の効き目を一つ一つ嘗めて調べたことで,一日70回も毒に当たったこともあるそうです。そして、ついに断腸草(だんちょうそう)をなめて、中毒で死んでしまいました。
そのほか伏羲が考えた八卦を六十四卦に発展させたのも神農といわれています。
「神農」の名の付く書物は『漢書』の藝文志篇の中には,「農書」の項の『神農二十篇』。「五行」の項の『神農大幽五行二十七巻』。「雑占」の項の『神農教田相土穀種十四巻』。「経方」(医療医薬関係)の項の『神農黄帝食禁七巻』。「神僊」の項の『神農雑子技道二十三巻』。「兵書」の中の「兵陰陽」の項の『神農兵法一篇』 の6種でこれは後漢までですが,後漢以降の医薬書にはほとんどT神農Uの名前が付きその代表が,『神農本草経』です。

 神農の死後520年、神農の徳が消え,荒れて行った世の中を建て直したのが三皇三人目の黄帝(こうてい)でした。土徳です。河北省の辺りで神農の子孫と3度戦ったといわれています。
父を小典といい,黄帝の姓は公孫,名は軒轅(けんえん:轅(ナガエ:ゆるい曲線をした、馬車のかじぼう。)が曲がって高く上にはねあがった形をしている乗用の車。古代には、大夫(タイフ)以上の人が乗った。転じて、車。の意)。
黄色は中国のシンボル色であるため、中国に君臨する帝王と考えられます。黄帝は、衣を織って服を作ることを発明したり、家屋の造りを発展させました。
神農や黄帝の話しは後世の人の後付のようですが,『史記』の中で陰陽五行論は黄帝が定めたといわれています。そのため陰陽五行論関係の書物には黄帝の名が多く付けられているようです。
 黄帝は、神様と一緒に行列を練って歩いたりしました。そのためその華やかさを人身牛蹄手(牛のひづめ)、銅の頭、鉄の額を持つ蚩尤(しゆう)という怪物がねたみ、黄帝に対して風伯(ふうはく:風の神)と、雨師(うし:雨の神)をけしかけ反乱を起こしました。
 蚩尤は、風伯と雨師を使って台風を起こしたので黄帝は苦戦しました。でも黄帝の娘の魃(ばつ)が追い払ってくれたので、黄帝は最終的に阪泉(はんせん、河北省)という場所で勝つことが出来ました。
 何故追い払うことが出来たかというと,魃は大変な高熱の持ち主で、その高熱によって風伯と雨師の起した台風を消してしまったため、蚩尤はこれによって降伏しました。しかし魃のあまりの高熱は、行く先行く先で雨を降らなくさせてしまうので、最終的に北方へ追放となってしまいます。でも寂しさから時々戻ってきては、雨の降らない状態を引き起こしてしまうため,人々はこれを旱魃(かんばつ)と言うようになりました。(干魃の語源)
 ところで勝った黄帝ですが.....
 戦勝記念として首陽山産の銅で鼎(かなえ、鍋に足のあるような神器:トロフィー?)を作ることにしました。そして鼎が完成した時,龍が天からお迎えに来ました。黄帝はこれは天命なんだと判断して龍に乗って天へと昇って行きました。
 その時,黄帝との別れを惜しんだ人々が,連れて行く龍のひげにつかまって,妨害をしたのですが、そのひげはすぐに抜けてしまいました。その抜けたひげが龍髯草(りゅうぜんそう)になったと言われています。 黄帝は遺品として弓を置いていきました。人々は遺品の弓を見て黄帝がいないのを悲しんでむせび泣きました。その弓を烏号(うごう)と名付けむせび泣くという意味になりました。

「黄帝」の名の付く書物は『漢書』の藝文志篇の中では,特に道家と神仙の分野が多く,
「道家」の項の『黄帝四経四篇』,『黄帝銘六篇』,『黄帝君臣十篇』,『雑黄帝五十八篇』。
「神僊篇」には『黄帝雑子歩引十八巻』,『黄帝岐伯按摩十巻』,『黄帝雑子芝菌十八巻』,『黄帝雑子十九家方二十一巻』。
そのほか「天文」の項の『黄帝雑子気三十三篇』。「五行篇」の『黄帝陰陽二十五巻』,『黄帝諸子論陰陽二十五巻』。
「雑占」の項の『黄帝長柳占夢十一巻』。「医経」の項の『黄帝内経十八巻』,『黄帝外経三十七巻』。「経方」の項の『神農黄帝食禁七巻』。「房中」の項の『黄帝三王陽方二十巻』。
以上の16種で,現存の医学書は『黄帝内経十八巻』だけです。

燧人氏(すいじんし)

 三皇の別説で始めに上げられる燧人氏の伝説はいくつかありますが、基本的な物語次のような感じです。
 太古の昔の人々は木の実や草の実、螺(巻貝類)や蛤(はまぐり)などをとって食べていたが、なまぐさくて嫌な臭いがあったり、胃腸を壊すなどして病気になるものが多かった。
 ある時、木の摩擦熱で火をおこし、食べ物を焼いて食べるということを民衆に教えた人がいた。人々は喜んでこの人を天下の王と仰ぎ、燧人氏と呼んだ。 (韓非『韓非子』五蠹篇)

 燧人氏が火をおこす方法を発見したきっかけについては「鳥がくちばしで樹をつつくのがヒントになって、木の枝をこすり合わせて火をおこした」という説もあるそうです。

ここでは,

初代三皇として天皇、地皇、人皇とし,

二代目として伏羲、神農、黄帝としています。

ーーーーー詳しい理由は,「自説:五徳論」へーーーーー

そして五帝へ