年表

西暦 / 何年前?

中国の歴史

日本の歴史

世界の歴史

備考

/300万年前
フアール猿人 (チンパンジーと別れた先祖らしい)

/100万年前
元謀猿人 ジャワ原人
(ピテカントロプス)
第1氷河期
(直接の先祖ではないらしい)

/60万年前
藍田原人 (直接の先祖ではないらしい)

/50万年前
北京原人
(直接の先祖ではないらしい)
第2氷河期 盤古が天地を別ける。その後(にょか)が人を作る?
(中国の神話)

/45万年前
三皇の君臨
(中国の神話)
天皇(てんこう)が在位(中国の神話)

/25万年前
桐梓人 ネアンデルタール人(直接の先祖ではないらしい) 地皇(ちこう)が在位
(中国の神話)

/20万年前
丁村人
(直接の先祖ではないらしい)
第3氷河期
ファーストマザー
(アフリカ)
直接の先祖

/9万年前
オルドス人 ヨーロッパ人と
アジア人に別れる

/5万年前
麒麟山人 クロマニオン人は壁画を残した 人皇(じんこう)が在位(中国の神話)

/3万年前
周口店上洞人 第4氷河期 石器を使っていた?

/1万2000年前
旧石器時代
燧人氏が火を発見?
東日本で縄文時代
(旧石器時代)
氷河期が終わる 土器と弓矢が発明される (岩手県宮古市)
6000年〜10000年前

紀元前

新石器時代


前期縄文時代

(新石器時代)
 

北イラクに初期農耕文化
犬を飼い始める?

5000年 /7000年前
黄河流域で農耕文化始まる アラブ人は粘土板の上に、葦の茎で書く楔(くさび)形文字を発明 別の三皇の君臨 ?
(中国の神話)

4500年 /6500年前
長江(揚子江)流域で稲作農耕文化
(河姆渡文化)
エジプトで農耕や牧畜始まる 猫を飼い始める?

4000年 /6000年前
黄河中流域で仰韶(やんしゃお)文化がおこり,彩陶が作られる 日本最古のイネ
(細胞化石が岡山理科大学敷地内の朝寝鼻貝塚で発見)
ユーフラテス川下流にメソポタミア文明 エジプトのスフィンクスはこの頃?

3000年 /5000年前
長江(揚子江)中流域で良渚文化 エジプト第一王朝始まる シュメール文明?

2500年 /4500年前
黄河-揚子江文明(竜山文化)始まる 西日本で弥生時代?
稲作が始まる。
エジプトのピラミッド
インダス文明
五帝の君臨(中国の神話)
BC2698年黄帝即位(1911年辛亥革命:黄帝紀元4609年)

2000年 /4000年前
夏王朝(伝説上の中国最初の王朝で禹が黄河の治水工事をして王位に着く) アカイア人がバルカン半島へ(ギリシア人の先祖) 舜の96年前が五帝の堯(ぎょう)
夏王朝の39年前が五帝の舜

1600年 /3600年前
殷(商)王朝が湯王により始まる 古代バビロニアのハンムラビ法典

1500年 /3500年前
殷(商)王朝華北を統一。青銅器文化 インド西北にアーリヤ人侵攻 甲骨文,金文(漢字の起源)

1050年 /3050年前
武王により周王朝(西周)を西安に インドのアーリヤ人ガンジス川流域に 殷王朝の最後第31代紂王の酒池肉林!!

1000年 /3000年前
周王朝の封建制度 インドのカースト制度

770年 /2770年前
幽王,周を洛邑(ラクユウ)に(東周)
春秋時代(諸候乱立)
神武天皇,橿原宮で即位(BC660:伝説) ギリシアの都市国家 襄公が秦を建てる。
『史記』の扁鵲

481年 /2481年前
孔子『春秋』
BC479死去70才
(諸子百家)
BC492ペルシア戦争
(勝国ギリシア)
BC425プラトン生まれる
孔子はBC551年に魯で生まれる
『道徳経(老子)』
BC497から13年間の遊説

403年 /2403年前
周王朝の崩壊
(戦国時代突入)
BC399ソクラテス死ぬ 三晋(魏・趙・韓)分裂
『論語(孔子)』の成立

369年 /2369年前
荘子(宋の領地蒙の漆園役人で名は周)生まれる 定説の弥生時代
(稲作文化)始まる。
BC336アレキサンダー大王即位 BC390墨子死去
BC386『春秋左氏伝(左伝)』五材という言葉がある。

246年 /2246年前
秦31代・政,即位 朝鮮半島経由で青銅器や鉄器が伝わる BC225年?鄒衍(すうえん)の終始五徳論

221年 /2221年前
秦の中国統一
31代・政,始皇帝を名乗る
BC218ローマ×カルタゴの第2次ポエニ戦争 伏生の『尚書大傅』

206年 /2206年前
秦が滅びる

202年 /2202年前
劉邦(高祖)長安に漢(前漢)王朝開く BC202ポエニ戦争でローマ勝利

180年 /2180年前
文帝が皇帝に 『史記』の倉公

157年 /2157年前
景帝が皇帝に BC175-145馬王堆

141年 /2141年前
武帝が皇帝に 鍼法の発明?
『韓詩外伝』五神の原形

136年 /2136年前
武帝が儒教を国の学問とする ローマ地中海へ進出 BC120『淮南子』
医療機具出土

104年 /2104年前
太初暦施行
(新年は1月から:それまでは十月歳首)
『漢書』藝文志に出てくる黄帝内経初期の記述が始まる?

87年 /2087年前
武帝が死ぬ 司馬遷の『史記』

33年 /2033年前
成帝が皇帝に BC30ローマのエジプト征服 BC31『本草』
「神農本草經」の原形?

7年 /2007年前
哀帝が皇帝に BC4キリスト誕生 (りゅうきん)が『七略』

紀元
8年 /1992年前

王莽(もう)新の建国



現存する黄帝内経の記述が始まる?

18年 /1982年前
赤眉の乱

23年 /1977年前
新が滅びる キリスト教の始まり?

25年 /1975年前
光武帝,洛陽に漢(後漢)復活

37年 /1963年前
後漢の統一 57年倭国の使者,光武帝から金印を受ける ローマ帝政時代

82年 /1918年前
班固の『漢書』

88年 /1912年前
和帝が皇帝に ローマ五賢帝時代 現存する黄帝内経の記述が終わる?

105年 /1895年前
蔡倫が紙を発明 107年倭国,漢に160人の奴隷を献上 ローマはトラヤヌス帝時代 『難経』

184年 /1816年前
黄巾の乱 『後漢書』倭国大乱 『周礼』

220年 /1780年前
後漢が終り 三国時代
曹丕が魏王を受け文帝となり魏王朝を建てる
邪馬台国建国? 200年頃?
『傷寒雑病論』
221年 /1779年前 劉備が蜀漢王朝
諸葛孔明が丞相
222年 /1778年前 孫権が呉を建国 華佗の麻酔手術
229年 /1771年前 孫権が呉王朝を建てる
234年,孔明が病死
239年,卑弥呼が魏に使者を送る
240年,魏志倭人伝に邪馬台国
240年
インドでササン朝
ペルシアでマニ教
『脈経』
263年 /1737年前 魏が蜀を滅ぼす 248年,卑弥呼死後,台与が継ぐ ローマでキリスト教の迫害 215-282年『帝王世紀』
265年 /1735年前 晉が魏を滅ぼす
司馬炎が晉王朝
狗奴国が邪馬台国を滅ぼす 『鍼灸甲乙経』
280年 /1720年前 晉が呉を滅ぼす
西晉王朝の中国統一

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甲骨文・金文
殷の時代の卜辞に使われた文字で漢字の原形。
牛の肩甲骨や亀の甲羅に書いたものが甲骨文。青銅器に書いてあると金文。
その甲骨文の中に殷の重臣が酒で政治に参与出来ないという内容がある。
殷王朝最後の第31代紂王の酒池肉林の裏付けである。
そのほか病傷部位や症状で病気の区別を付けている。
全て卜辞なので王族関係への祈祷による治療の記録になる。

『道徳経(老子)』
殷の時代に発達した自然信仰が,春秋時代から戦国時代にかけて諸子百家と言う形で,現実主義化しました。その中で老子は大自然とは遥か悠久からもともとあったもので,人間もその一部として営み続けたものだという自然観を哲学へと高めました。そしてその自然観は『黄帝内経』の人の捉え方へと受け継がれます。
道徳経第12章
五色令人目盲(多彩な色彩を欲しがると奇麗さが解らなくなり)。
五音令人耳聾(賑やかさを欲しがると聴覚を悪くする)。
五味令人口爽(いろいろな味を欲しがると口の調子が狂う)。
馳騁田獵,令人心發狂(狩りそのものに夢中になると心の均衡が狂う)。
難得之貨。令人行妨(手に入れにくい宝を得るために行動を間違える)。
是以聖人,爲腹不爲目,故去彼取此(聖人は,心の中を充実させ外からの刺激は求めない,つまり内なるものを取り,外なるものは取らない)。
 

荘子(逍遥遊篇、斉物論篇が本人の著作と考えられている。)
荘子の中に斎物論では万物は全て独自の意味、内容、価値を持つと有ります。
T万物斎同の平等Uと言う考え方で、その中の一説に人体の部分々々の支配関係について触れている説が有ります。「人の体には手、足、関節や内臓などが有り、お互いの支配関係はどのようになっているのだろうか?」「もし、それぞれが召使として人体全部に奉仕しているとすれば、その召使はどのように支配し有っているのだろうか?」「一つの体として統制が取れているのだから、その召使どうしが交代で支配し有っているのだろうか?それとも身体以外の真の支配者が居るのだろうか?」と、言う問かけがあります。この問いかけの結論として、「人には体と言う外形の他に精神がある。この精神こそが真の支配者なのだ。」としています。
斎物論は手、足や内臓を召使というように擬人化して表現していますが、そのうえでおおいなる一つの人格としての精神が全身を支配していると言っています。
 

『春秋左氏伝(左伝)』
孔子『春秋』にくわしい歴史記述を加えて注釈した書。
春秋時代は初侯が病気になると,神々のたたりとして丁寧な祭をした。
症状や夢の内容などでたたっている神を限定した祭であった。
五帝の堯(ぎょう)が殺した夏王朝開祖の禹の父,鯀の祭は夏,殷,周と続けられた。
晋の公平が病気の時,子産が鯀の祭をさせて治した。(BC535)
子産とは....
鄭(てい)の宰相で「博物の君子」といわれた。この時に時間と体の関係を述べている。
「君子の一日は4つに別け,朝は政治に,昼は政策の相談,夕は命令を作り,夜は休む。
これは各時間帯に合わせて,適当に気が発散したり閉塞するので,体は痩せず心はさわやかです。」
初期の気と時間と病因論の関係です。
成公10年の所に醫緩という医者の記載があります。
BC600~580頃の人で,ただ祈祷するのではなく病因を探るという考えを示してている。
また醫和という医者の記載もあります。
BC557~532頃の人で, 六気の原形を語っています。
「天には六気があり地が受けて,五味を産み五色を発し五声をを発する。六気とは陰・陽・風・雨・晦・明。六気が分化して四時になりさらに分かれて五節になる。六気の各々が多いと災いを起こす。」

『尚書大傅』
五行は五材ともいい「洪範篇」の中に夏王朝の禹が天帝から,天下統一の大法であると与えられたとある。相生,相剋関係の記載はない。
「五行。一に曰く水,二に曰く火,三に曰く木,四に曰く金,五に曰く土。
水は潤下,火は炎上,木は曲直,金は従革(加工して形が変わること),土は稼穡(かしょく:栽培収穫)。
潤下は鹹,炎上は苦,曲直は酸,従革は辛,稼穡は甘。」
現存する記載では最も古い。
 

『韓詩外伝』
『淮南子』よりも前に五神の原形を記しててある書。
「何を五蔵というか。情は腎に蔵し,神は心に蔵し,魂は肝に蔵し,魄は肺に蔵し,志は脾を蔵す。」
 

馬王堆漢墓
湖南省長沙で出土。豪族の墓。
九種類の薬用植物が発見されたが,香だったらしい。(馬王堆1号漢墓)
BC186に埋葬された長沙丞相の(だいこう)利倉の墓(馬王堆3号漢墓)より15種の医書出土。
灸と導引はすでにあった。

『淮南子』
漢の劉邦(高祖)の孫で淮南王(劉安)が複数の思想家に書かせたもの。
神農が三皇(この場合は他は伏犠と)の一人として医療技術の創作にかかわった話しがある。
五穀の種まきと土地の見定めを教えたさいに1日70回毒に中った。(農業の起源説)

医療機具出土
河北省満城県の中山王劉勝の墓で発見。
銀製灌(かん)薬器,銅濾器,銅薬匙(し:さじ),製薬用銅盆,煮薬用双耳銅钁,各1個。
金銀製の医鍼9本,うち破損していない4本は『黄帝内経』の九鍼のうちの3種と一致。
製薬用銅盆には「医工」の文字があった。
 

『史記』
三焦という言葉が「扁鵲伝」のなかに「三焦膀胱」としてある。三焦という言葉の最も古い記述。
『鍼灸甲乙経』の皇甫謐が「創公伝」などは素問に由来していて病を精密に論じている。と語っている。
 

『七略』
解題図書目録。前漢の成帝が宮廷図書館の充実のため劉向という人につくらせた。
医書の部分は侍医の李柱国。劉向の息子の(りゅうきん)が哀帝の時代に完成させた。
しかし現存はしていない。解題(解説)はなく,図書目録の部分のみ『漢書』藝文志として残る。
 

『漢書』藝文志
図書目録で医書としては医経・経方・房中・神僊(せん)に区分されていた。
医経として,黄帝内経十八巻,黄帝外経三十七巻。扁鵲内経九巻,扁鵲外経十二巻。
白氏内経三十八巻,白氏外経三十六巻。旁篇二十五巻。右医経七家,二百十六巻。
現存は黄帝内経のみ。黄帝,扁鵲,白氏それぞれを開祖と仰ぐ学派があったらしい。
当時は権威主義で,自分達の学説の正当性のため伝説の人を担ぎ上げて開祖ということにした。
おそらく始めは実在した医者の白氏。次にその上を行くため扁鵲を開祖にした学派。
次にさらにその上を行くため黄帝を開祖にした学派。
この目録内の『黄帝内経十八巻』は現存する黄帝内経よりも古いもので内容も7〜8割は違うらしい。
 

『黄帝内経』
黄帝(中国古代伝説上の帝王)とその臣である6人の医者と問答した記録という形をとる。今日伝わる「黄帝内経」は「素問」と「霊枢」の2部に分かれており、秦か漢の時代にできたといわれるものである。京都の仁和寺には唐の楊上善が高宗の命を受けて注釈を加えた「黄帝内経太素」が残っているが、これが世界最古の黄帝内經である。中国が逆輸入の形で,写本をした。
「素問」では人体の生理、病因、病理、摂生、養生法などが論じられていて、実際の治療についての記述は少ない。現在出回っているのは唐(618〜907)の時代に王氷が注釈を加えた24巻本である。中国の重要な古典であったために、江戸時代の「黄帝内経太素」の写本が多数存在する。
「霊枢」は解剖、生理、経絡、鍼灸についての記載がある鍼灸、按摩などの宝典。
また京都の仁和寺に伝わっている「黄帝内經太素」30巻は「素問」「霊枢」を編集したもの。

『難経』
黄帝内経八十一難経といい,秦越人(扁鵲)といわれるが仮託(かこつけること)である。しかし一人の人間の著ならしい。
黄帝内経をまとめたものといわれるが,それまで雑多にあった知識の山に脈絡を付け,しかも鍼療法のみに絞った医学書の完成といわれる書。
脈法,脈論,経絡,臓腑,疾病,経穴,鍼法の6つから構成されている。
 

『周礼』
儒教の古典。天官・疾医の条に五味・五穀・五薬を用いてその病を療養する。とある。

『傷寒雑病論』
200年頃、張 機(仲景)撰述した臨床医術書の古典。仲景の一族200名の3分の2が196年から10年の内に死亡した。その原因を調べるとその7割が傷寒(急性伝染病)で亡くなっていたことがわかった仲景は発憤して傷寒の治療法を研究して、「傷寒雑病論」16巻を作った。そこでは主に急性疾患の治療法と薬物療法を論じている。
 この中で重要な点は、漢方の基本である証と方の概念ができあがっていることである。
つまり,疾患はたえず変化するものと考え、経過につれて現れる症状にあった処方を見つけて治療するということ。仲景は陰陽の解釈で説いた。その後、陰陽の解釈は中国医療で様々に変化するが、傷寒の陰陽概念が今日の日本漢方の基礎になっている。
 

『脈経』
三国・魏の王叔和の著。診断法の書で,脈法と脈論,診断例などを述べ治療法にもある程度言及し,わずかに色診にも触れる。
 『素問』『霊枢』『難経』『傷寒雑病論』から書かれて10巻ある。巻7は『傷寒論』巻8は『雑病論(金匱要略)』。ただ巻5の「張仲景論脈」は『傷寒論』の平脈法だがそのほかに,
扁鵲陰陽脈法,扁鵲脈法,扁鵲華佗察声色要訣,扁鵲診諸反逆死脈要訣とあり用語などが『黄帝内経』と若干違いがある。『漢書』藝文志 にある扁鵲内経九巻,扁鵲外経十二巻の可能性がある。
またこの中で24種の脈象の確定と六部定位脈診の確立がある。

『帝王世紀』
歴史家で医者であった西晋の皇甫謐(ほひつ)の著。
神農は草木を嘗めて薬を広め病を治した。(医学の起源説)
五帝(この場合の他は(せんぎょく),(ていこく),堯,舜)の一人として黄帝が岐伯にいろいろな薬を嘗めさせて医術を司り病を治させた。また岐伯と雷公に経脈を論じた81の問で難経をつくらせ,九鍼を作って内外術経十八巻を著させた。 とある。
 

『黄帝三部鍼灸甲乙経』
皇甫謐が40才過ぎてから書記作業の関心を医学に向けて書いたもの。
『黄帝内経』を分野別,問題別に整理して編集し,体系的に再構成した。より狭く限定させることで,明確化している。皇甫謐の『黄帝内経』に対する意見は,
「高遠な議論で意見は多いが事柄に迫るところが少なく順序だてた編集もされていない。創公伝などは素問に由来していて病を精密に論じている。九巻(霊枢?)は経脈にもとづき意味が深遠で容易に理解できない。明堂孔穴鍼灸治要(黄帝内経明堂)は黄帝と岐伯の著作である。この3つの書は重複が多く矛盾もある。」と言っていて,当時の黄帝内経の受け止め方が解る。