原典比較表

全元起訓解の素問、王冰注の素問、
霊枢、太素の各巻の巻題比較

古典研究

自己流素問の読み

素問を自力で読む試みです。ちょっとづつですけど。
王冰注素問編纂意図の仮説

唐の時代、なぜ王冰は素問の再編纂をはかりそれが現在に残されたのかを考えてみました。

 

 

BC82年-後漢時代の
『漢書』藝文志(班固;著)の医経の中に「黄帝内経十八巻」という記載があります。
しかし,これは現存する黄帝内経と同じモノとは決して断定できないようです。
黄帝内経とは「素問」と「霊枢」のからなりますが、それは仮説でしかありません。
晋の時代に皇甫謐(こうほほつ)と言う人が『鍼灸甲乙経』(282年)を書いたときの序文で、素問九巻、霊枢九巻よって漢書芸文志に示されている黄帝内経十八巻となると書いたからです。
 
黄帝内経は、
特に素問の扱いは医学であっても概論と評論と専論,講義用テキストと注釈と解説などで,理論や技術も各々の立場や主張があって文章間で継承や展開,批判や否定の関係が見られます。一つの文章が何人もの人を経て出来上がったものもあれば,一人の人間によるものもあり,篇に至っては分断や挿入を繰り返して現存の形に落ち着いたようです。この煩雑で混沌とした感じが黄帝内経創生期をそのまま物語っています。
 
鍼治療-漢方理論の
基礎整理にあたり、作業の困難はその原典である特に素問の煩雑さにあります。
すでに皇甫謐の時代に『鍼灸甲乙経』という一つの整理統合を必要としたわけですが、この書物も歴史にあってその存在自体が整理されてしまいます。ただ皇甫謐が指摘したように、具体性に欠けどうにでも解釈が効くという事実は、2000年たった現代でさらなる難解さを読み手に与えているわけですが、逆に古典に書いてあれば何でも良いという乱用につながります。いわば具体的抽象表現という古代文化の価値観を、単なる揚げ足取りにしてしまいかねないわけです。
 
古典研究の目的は、
原典だから何でもアリというのではなく、現代でも使えるモノの分別にあると思います。それはどこに何が書いてあるかだけではなく、使った漢字、単語の順列、文章の構成や例えの入れ方などの、編纂ロジックから見える深義までが必要だといえます。それを臨床家の姿勢を残しながら、読んでいきたいと思っています。