出土医書の種類

(「中国医学はいかにつくられたか」山田慶兒著,岩波新書より)

医書の出土した馬王堆とは

1971年、湖南省長沙市で病院の工事の時に馬王堆漢墓は発見されました。
それは市の中心から東へ約4kmの地点の小高い丘の上でした。
馬王堆漢墓はBC186年(前漢初期)に埋葬された,長沙丞相,(だいこう)利創の妻の墓です。
この墓からは医書だけではなく、様々な書物や科学の常識をくつがえす発見がありました。
それはこの墓の第1漢墓で発見されたミイラの状態でした。
第1漢墓は地上から20mの高さまで墳丘を築いています。その死体とも言うべきミイラが入った竪穴式の木槨(もっかく:棺をいれる外箱墓で、縦6.7m、横4.9m、高さ2.8m)は、地表から16mほどの墓穴の中にあり、全部で六重の木の箱を重ねた中に納められていました。六重の内訳は木槨が二重、木棺が四重で、棺は中の2つが漆塗り、もっと内側の棺が羅紗張りで棺のまわりには、1000点余りの副葬品が積め込んでありました。
四重の棺を順に開け、さらに内側の棺を開けると、その死体ともいえるミイラが横たわっていました。死体ともいえるミイラは約20枚の衣服に包まれて9本のひもがかけられ、その上を綿入れの衣服2枚に覆われた、身長154cm、体重34.3kg、年齢50歳ほどの女性でした。
その科学の常識をくつがえすミイラの状態とは、少しも腐乱していないその外観は完全で、顔も目・鼻・口・耳などほとんど変形しておらず、薄い頭髪は後頭部でたばねてありました。しかも驚くことに身体にはまだ弾力があって、 指で押すといったんくぼんでもまた元に戻ると言った状態で、腿の動脈も死後まもない死体と同じような色をしており、防腐剤を注入するとゆっくりと拡散したということでした。
その後、死体ともいえるミイラは内臓諸器官の状態を精密に調べるために解剖を行ないました。そもそも2000年前の死体を解剖できてしまうこと自体が医学上の奇跡です。結果のどから胃にかけて300余りの瓜の種が連なって残っていたということがわかり、つまりはこの婦人、瓜の実る季節の大体6月頃の暑い季節に瓜を食べながら死んだことになります。
解剖結果では、冠状動脈の疾患がひどく多発性胆石症がみられたため、死因は胆道痙攣から心筋梗塞をひき起こしたと推察されました。ほかに腰椎の損傷を認められ、生前は歩行がやや困難だったという所見があり、それを裏づけるように副葬品の中から杖が見つかりました。
それにしてもわからないのは保存形態です。 一般に、死体保存のあり方としてはミイラか屍蝋(しろう)で,ミイラはエジプトの場合のように、内臓を抜き出して手を加えて乾燥した状態にするか、あるいは西域の楼蘭出土のミイラのように、極度に乾燥した土地で自然にでき上がる場合です。また屍蝋は死体が水分の多いところに葬られたとき脂肪が分解して脂肪酸を生じ、マグネシウムやカルシウムと結合して石鹸化した状態で残ったものです。
しかし馬王堆第1漢墓の死体とも言えるミイラはそのどちらでもなく,この死体発見の報道直後は誰も信じることが出来ず、日本の法医学の世界でも“ありえない”“説明できない”として、かつて例のない死体遺存にとまどったそうです。
中国ではこれを“湿屍”と称してこの言葉をそのまま使っていくようです。
少なくとも死体を入れた棺の中からは、死体がこのように残りえた条件は確認されていません。特徴的なことは、死体から多量の水銀と鉛が検出されています。しかし保存状況との関連はまだ研究途上にあるそうです。
 

馬王堆第3漢墓からの出土医書

第3漢墓からは多数の医書が出土しました。
出土した医書は絹に書かれた帛書(びゃくしょ)11種,竹簡3種,木簡1種です。

帛書
足臂十一脈灸経(34行)
陰陽十一脈灸経甲本(37行)
脈法(13行)
陰陽脈死侯(4行)
五十二病方(目録16行)(本文462行)
却穀食気(9行)
陰陽十一脈灸経乙本(18行)
導引図(44図と表題)
養生方(226行)
雑療方(79行)
胎産書(34行と図2枚)

竹簡
十問(101簡)
合陰陽(32簡)
天下至道談(56簡)

木簡
雑禁法(11簡)

これらは出土した段階では名前などは付いていなくて,研究者が付けたそうです。全てオリジナルではなく写本のようで,その字体から年代を推測すると,BC210〜190年くらいになり

最も古いものは秦の時代で,
足臂十一脈灸経,陰陽十一脈灸経甲本,脈法,陰陽脈死侯,五十二病方。
次が導引図,養生方,雑療方,胎産書。
そして却穀食気,陰陽十一脈灸経乙本。

最も埋葬年代に近いのは十問,合陰陽,天下至道談,雑禁法ですが,必ずしも発祥順ではなく写筆の年代です。内容的には戦国後期と推定できるそうです。(BC300年前後?:荘子のいた時代で『左伝』より新しい)

 

張家山漢墓二基からの出土医書

馬王堆とほぼ同時期のBC190年くらいのもので,1983〜4年湖北省江陵県で出土。
医書は約千枚の竹簡のなかの『脈書』と『引書』の2部。『引書』は導引で医療体操や気功の元になったもの

『脈書』の中の構成は
病侯(15簡)
陰陽十一脈灸経丙本(5簡)
陰陽脈死侯乙本(4簡)
六痛(3簡)
脈法乙本(8簡)

陰陽十一脈灸経丙本,陰陽脈死侯乙本,脈法乙本は馬王堆出土医書とほぼ同じもので,病侯と六痛が新たにみつかり命名されたものです。ただ陰陽脈死侯乙本の末尾一段が全く違った文章になっていて意図的な編集が感じられるそうです。このようなことは黄帝内経にも暦代の傷寒論にも伺えます。
 

種類の分類

『漢書』藝文志の医経(医学理論と鍼灸医学)・経方(薬物両方中心の臨床医学)・房中(性技)・神僊(呼吸法,体操,按摩,強壮剤をふくむ養生法)という分類に従うと,

医経
足臂十一脈灸経,陰陽十一脈灸経甲本,陰陽十一脈灸経乙本,陰陽十一脈灸経丙本,脈法,脈法乙本,陰陽脈死侯,陰陽脈死侯乙本。

経方
五十二病方,胎産書,病侯,六痛。

房中
雑療方,合陰陽,天下至道談,雑禁法。

神僊
却穀食気,導引図,養生方,十問,そして『引書』。  

 

出土医書からの考察

“脈”に関する記載

“脈”とは動脈の拍動だけではなく,生体の体表表現全般をいいます。足臂十一脈灸経や陰陽十一脈灸経は,現在の正経十二経脈の祖型といえます。陰陽脈死侯は部分的な死の徴侯が書かれているようです。脈法は脈診。相脈と言った様です。

十一脈灸経

十一脈とは現在の正経十二経脈の手の厥陰心包経を除いた内容で,十一脈灸経には臓腑の名前は無く足の三陰三陽と臂(手)の二陰三陽の十一経です。具体的な五行の記載がない事から鄒衍(すうえん:BC305〜240の人で陰陽と五行の連結を本格的に掲げている)の活躍した時代より前の記載かも知れません。
経脈流注の内容ですが,臂(手)の少陰脈(現在の心経)の記載で比較すると

陰陽十一脈灸経では,
臂(手)の少陰脈は,臂の両骨(前膊骨?)の間より始まり,下骨(尺骨)の上縁,筋の下を通り,臑(上膊骨:肩から肘までを上膊、肘から手首までを下膊という)の内側に出る。これが動くときは,心が痛み,喉が乾いて飲みたくなる病にかかる。これを臂厥といい,これは臂少陰脈を主に治療する。その生ずる病は,脇痛の一病である。

足臂十一脈灸経では,
臂少陰脈は,筋の下縁をめぐり,臑の内側の下縁に出て,腋に出て,脇に集まる。 その病は脇痛 である。これらの病にかかったときは,すべて臂少陰脈に灸をすえる。

参考として霊枢の経脈篇では,
心,手の少陰の脈。心から出て心系とも言い,横隔膜を下って小腸に絡む。別の分支は心系を上がって咽を挟んで目に繋がる。その直系は肺にいき腋下に出て手の太陰心経として上腕内側を下行し,肘の内側を巡って掌の後の鋭骨の端から掌に入り,小指の内側のその端に行く。心の是動病は喉が乾く。心が痛み,喉が乾いて飲みたくなる病にかかる。これを臂厥という。心の所生病は目が黄色くなり胸の脇が痛む。腕の内側が痛み掌の中が熱して痛い。これらの症候が盛んなときは瀉し,虚のときは補す。熱のときの鍼は即刺即抜し,寒の時は置鍼する。陥下の時は灸をする。盛んでも虚でもないときはその経を取り,盛んなときは寸口が大きく人迎の倍の倍で,虚のときは寸口は逆に人迎より小さい。

このように霊枢の経脈篇では,陰陽十一脈灸経と足臂十一脈灸経を合わせさらに倍以上に増えています。
また,難経に十一から十二に進んだ記載があります。

二十五難曰.有十二經.五藏六府十一耳.其一經者.何等經也.
然.一經者.手少陰與心主別脉也.心主與三焦爲表裏.倶有名而無形.故言經有十二也.

よって十一脈灸経は正経十二経脈の祖型といえるわけです。


霊枢経脈篇の正経十二経脈との比較

霊枢経脈篇の経脈

陰陽十一脈灸経

足臂十一脈灸経

手の太陰肺経

臂鉅陰脈

臂泰陰温

手の陽明大腸経

歯脈

臂陽明温

足の陽明胃経

陽明脈

足陽明温

足の太陰脾経

泰陰脈

足泰陰温

手の少陰心経

臂少陰脈

臂少陰温

手の太陽小腸経

肩脈

臂泰陽温

足の太陽膀胱経

鉅陽脈

足泰陽温

足の少陰腎経

少陰脈

足少陰温

手の厥陰心包経

手の少陽三焦経

耳脈

臂少陽温

足の少陽胆経

少陽脈

足少陽温

足の厥陰肝経

厥陰脈

足炳陰温

陰陽十一脈灸経の泰陰と厥陰の脈,足臂十一脈灸経の足炳陰温の項には診察法の記載があって,特に足臂十一脈灸経の足炳陰温には,

1.三陰の病が入り乱れると,10日以内に死ぬ。
2.3人同時に臼をついている様な脈や,食事を取る時間位脈が途切れていると三日以内に死ぬ。
3.胸が苦しく腹が張ると死ぬ。横になれず胸も苦しいと死ぬ。水のような下痢便がいつでも出ると死ぬ。
4.三陰の病は,腸の病を併発すれば治す事が出来る。陽の病は背中にお湯を流したように汗をかくと死ぬ。
5.陽の病は骨が折れ,筋が切れても,陰の病にかからなければ死なない。

2は脈から3は症状から死に至る病の診断。
1.4.5は三陰三陽の病の併発か単発かで生死の判断の基準を示しています。
陽脈より陰脈の病の方が重いという考えを,原則にしたものが「陰陽脈死侯」です。1と5から
一般に三陽は天の気である。その病は骨が折れ皮膚が裂けても,仮死するだけである。
一般に三陰は地の気で死の脈である。陰の病が入り乱れると10日以内に死ぬ。三陰は臓を腐らせ腸を爛れさせて人命を左右する。
と,あります。
陽脈は生脈。陰脈は死脈。陽病は軽く陰病は重い。この法則は,病は陽から陰へ進行するという考えを導いていきます。

(文字をクリックすると甲骨文での説明ですが,画像データが多いため重いです。)

ところで三とは.....

季節の進行は : 少陽モ陽明モ太陽モ太陰モ少陰モ厥陰
傷寒論の病気の進行は : 太陽モ陽明モ少陽モ太陰モ少陰モ厥陰
手の経絡は : 前から陽明モ少陽モ太陽 と,太陰モ厥陰モ少陰
と言う使い方をしています。
陽と陰を各々3つに別けてその状態を細分化したものです。陽明と厥陰は医学独特のもので易などの他の分野にはないそうです。

太陽.....
陰陽十一脈灸経では,鉅陽。足臂十一脈灸経では,泰陽。
鉅は巨の意。泰は太,やすらぎの意。太はたっぷりとふくれているさま,はなはだの意。
陰気が衰退し陽気が盛大になった状態です。

少陽.....
陰陽十一脈灸経でも足臂十一脈灸経でも少陽。
少はしばし,わずかな,すくない,へる,おとるの意。
陽気の減った状態,もしくは陽気の作用が劣った状態です。

陽明.....
陰陽十一脈灸経でも足臂十一脈灸経でも陽明。
明は暗闇の主要な部分のみを照らす行為。
陰気ある中での陰に対する陽気の作用です。

太陰.....
陰陽十一脈灸経では,鉅陰。足臂十一脈灸経では,泰陰。
陽気が衰退し陰気が盛大になった状態です。

少陰.....
陰陽十一脈灸経でも足臂十一脈灸経でも少陰。
陰気の減った状態,もしくはその作用の衰退です。

厥陰.....
陰陽十一脈灸経では,厥陰。足臂十一脈灸経では,炳陰。
厥は彫刻をする刀の意。炳は実際にはつくりの丙の上に≠ェ付く字で不明。
万遍無く満ちたものを削る行為,つまり陽気ある中での陽に対する陰気の作用です。

陰陽脈死侯

これからかきます。

脈法

これからかきます。